曜日の起源
なぜ週や曜日があるの?
当たり前のようにみんな使ってるから、まあ・・知らなくても不都合はないし、取り立てて問題はないのですが・・
「なんで週があるの?」 「なんで曜日があるの?」 「なんで日月火水木金土なの?」 「なんで日曜日が休日なの?」なんて子供や孫に突然聞かれたら答えられます?
太陽が昇って沈んでまた昇るまでが一日、新月が満月になってまた新月になるまでが一か月、春が来て夏になって秋、冬があってまた春になるまでが一年
これらは古代人が時を測る周期として使ったことは理解できるのですが、一週間がどうして生まれたのかがよくわからない
そしてその一週間になぜ曜日があるのかも不思議と言えば不思議
ってことで、今回も調べてみました
まず週と言う単位はどうして生まれたのか?
一番有力なのは、古代バビロニアで月の満ち欠けを基に生まれたっていう説
古代バビロニアでは太陰暦を基に1か月を設定していましたが、新月→上弦(半月)→満月→下弦(半月)→新月の間隔が一定(7日)だったことから、月の7日、14日、21日、28日を安息日にしていたらしい
これがその後ユダヤ教やキリスト教、イスラム教などにも影響を与え、休息を取る日、神へ祈りを捧げる日として土曜日、日曜日、金曜日などが週に1回の安息日(休日)になったとのこと
なるほど、そういう理由で一週間ができて、週ごとに休日があるわけだ
ちなみに日本も明治初期までは太陰太陽暦を採用していましたが、一週間ごとに休みがあったわけではなかったそうです
週ごとに休みができたのは明治政府がグレゴリオ暦を採用してからで、江戸時代はお盆と正月、そして五節句(1月7日、3月3日、5月5日、7月7日、9月9日)ぐらいしか全国的な休みはなかったようです
ただし、職業(士農工商)ごと、地域ごとにそれ以外の休みを決めていたらしく、休みの日数も時期もバラバラだったらしい
次になんで曜日(日月火水木金土)があるのか?
これは古代エジプトの占星術から来ているという説が一般的なようです
古代エジプトでは肉眼で観察できる星のうち、不規則な(惑うような)動きをする5つの星を「惑星」と呼び、それぞれの星には神がいるとされていました
この5つの惑星に太陽と月を加え、7つの星(神)が1日24時間を1時間ごとに支配していると考えたのです
遠い星から順に1時から24時まで割り振り、最初の1時間目に当たる星が、その日一日も支配すると考えていました
当時はすべての星が地球を中心に回っていると考えていましたから、地球から遠い星は土星・木星・火星・太陽(日)・金星・水星・月という順番でした
なので、1日目の最初の1時間目は土星、2時間目は木星、3時間目は火星、4時間目は太陽、5時間目は金星、6時間目は水星、7時間目は月、そして8時間目はまた土星という順番になります
そうすると1日目の24時間目は火星となり、2日目の最初の1時間目は太陽(日)となります
この順番を繰り返すと、
3日目の1時間目は、月
4日目の1時間目は、火星
5日目の1時間目は、水星
6日目の1時間目は、木星
7日目の1時間目は、金星
そして8日目の1時間目は、最初の土星に戻ってくる
もうお分かりですね
その日を支配する最初の1時間目の星の名前が曜日となったわけです
こう見ると、古代エジプトの占星術でも一週間(7日)というサイクルがあったということですよね
う~ん、暦の起源って本当に奥が深い!
まあ、とにかくこうして曜日が名づけられたってことですな
惑星の名前が一週間の曜日になったのは間違いないのですが、各国でその呼び名が違うのは宗教や崇拝伸、言語の違いが大きく影響しているようです
日本に週と曜日(七曜)の考え方が入ってきたのは意外に古く、弘法大師が中国から持ち帰った「宿曜経」からだと言われています
ただ当時は占いとして高尚な人々だけが使っていたそうで、それから明治時代になるまで陽の目を見ることはありませんでした
ちなみに占いと言えば、日本では六曜が一般的に普及していました
六曜とは皆さんもご存じの「先勝」「友引」「先負」「仏滅」「大安」「赤口」ですね
この六曜も元々は中国から伝わり、名称や順序が幾度か変わって、いまの形に落ち着いたのは江戸時代だそうです
本来は時刻の吉凶の占いで、先勝(せんしょう)は午後凶、友引(ともびき)は昼凶、先負(せんぷ)は午後大吉、仏滅(ぶつめつ)はすべて凶、大安(たいあん)はすべて吉、赤口(しゃっく)は正午のみ吉とされています
まあ、順番や解釈も様々変わったりしているみたいなので、これを信じる信じないは個人の自由ですね
最後に、日曜日が休みになったのは明治9年に政府がグレゴリオ暦の曜日を採用してからで、それまでは一六日と言うのが一般的でした
一六日とは、1日、6日、11日、16日、21日、26日を休日にするというもので、江戸幕府の役人が採用していたことから、当初は明治政府も官公署の休みとして正式に採用していました
しかし西欧諸国との交渉・商談が増える中、日本の休みと外国の休みが違うと不都合が多いことから、休みを西欧諸国の安息日である日曜日に合わせることになったわけです
この時、日曜日の一日休日に併せて、土曜日は半休日(半ドン)と定められています
ちなみに半ドンの「ドン」はオランダ語の休日を意味する「ドンターク」から来ている説と当時お昼になると号砲(大砲)をドン!と鳴らしたことから、ドンと鳴ったら半日休みと意味で半ドンになったという説があります
今日の深掘りはここまで