十年一昔
今日、孫が産まれた
待望の男の子だ!(と言っても外孫だけど・・)
10年前、「10年後には孫が二人ぐらい居たらいいな」なんて思っていたが、この子で6人目、来年には7人目が産まれる予定だ
10年前と言えば二人の娘はまだ20代前半で、彼氏はいた(ようだ)が結婚するのかどうかは怪しい雰囲気だったし、まだまだ仕事や遊びに熱中していた
まあ「十年一昔」とはよく言ったものだ
「十年一昔」とは、時の経つのは早く世の移り変わりが著しいこと、わずか10年という期間でも振り返れば遠い昔のように思われること
・・という意味なのだが、確かにこの10年で私の家庭環境は大きく変わった
10年前と言えば2011年、あの東日本大震災があった年だ
当時私は、本社最上階の会議室であの大きな揺れを経験した
古い建屋で前年に補強工事をしていたから良かったが、道路を挟んだ向かいのビルが大きく揺れて、こちらに倒れてくるんじゃないかと怯えたことを思い出す
すべての電車が止まり、街には人やクルマが溢れ、アリの行列のように家に向かって歩く人の列が夜中まで続いた
スーパーからは食料品が無くなり、ガソリンスタンドには長い行列ができ、テレビは地震や津波の報道ばかりで、バラエティやCMはすべてなくなった
福島原発は水蒸気爆発を起こして誰も近づけないという報道に、恐怖と苛立ちと失望を覚えたものだ
何度も放映される津波の映像に怯え、人間が如何に無力なのかを知り、ただ呆然とそれを見ているしかなかった
あれから10年
私は変わらず本社勤務だが、もうすぐ定年を迎える歳になった
義父と実父が亡くなったが、子供たちは結婚し、孫が7人になろうとしている
あの時の恐怖や不安、失望や悲しみは、時が経つに連れて薄れていく
それは決して悪いことではなく、苦難を乗り越えて歩きだすには過去の悲劇や災難を忘れていくことも必要だと思う
そして10年
あの時、大きな地震がまた来るかもしれないとは思ったが、まさか未知のウィルス感染症が世界に蔓延するとは思ってもいなかった
クルーズ船では乗客が隔離され、薬局からマスクは無くなり、ソーシャルディスタンスとステイホームが合言葉になった
緊急事態宣言によって県外異動は制限され、休校・休園になった子供たちは自宅での自習を余儀なくされた
何度も感染拡大を繰り返すうちに緊急事態宣言にも慣れが生じ、入院病床はひっ迫、自宅待機者が増え、患者の病状管理が問題になったのはついこの間のことだ
しかし遅れていたワクチン接種が進み、何とか感染拡大が収まっては来たが、いまなお飲食店やホテルは厳しい経営を強いられている
早くコロナ禍が終息し普通の生活に戻ることを切に願うが、この災害には忘れてはならない教訓がたくさん詰まっていると思う
さらに10年
今後も我々を不安と恐怖に陥れる災害が、必ず起きると思った方が良いのだろう
その時、また人間は無力なのかもしれない
しかし、今までの経験を活かして大難を小難に、そして出来れば無難にすることが大事だと思う
「十年一昔」には、歳月の流れを10年ひと区切りとして考えること、という意味もあるそうだ
10年区切りで過去を思い出し、その間に何があったのか、何をしようとしたのか、それによってどう変わったのかを振り返ることが必要かもしれない
そして何も知らない孫たちに、それを言い伝えのように話すことが私の役目のような気がした一日だった
今日の深掘りはここまで