正論とは?
正論とは「道理にかなった正しい議論や主張のこと」だ
道理とは「物事の正しい道筋、人として行う正しい道」のことだから、それから外れない議論や主張が「正論」ということになる
しかし「正論」という言葉は、あまり良い使い方をされないことが多いように思う
「正論を吐く」、「正論を振りかざす」、「正論を突き付ける」などだが、なぜ道理にかなった正しい議論や主張なのに、忌み嫌うような言い方をされるのだろう
「子は親を敬うべき」とか「規則は守らねばならない」とかは、道徳上あるいは倫理上、正しい道=「正論」となるだろう
こんなことは大概誰もがわかっているわけで、普段これを言ったところで「正論を吐く」とはならない
しかし、敬うに値しないような親であったり、規則通りではうまく裁けなかったりした時に「これ」を言われると、「確かにそれは正論だけど・・」とみな眉をひそめるわけだ
「それでは問題解決に繋がらないではないか!」と反論しても、「敬うに値しない親とはどういう基準で判断するのか」、「規則に例外を作れば公平性を欠くのではないか」と言い返されて、ぐうの音も出なくなる
「正論」では解決できそうもないから悩んでいるのに、「正論」を言われると何も言い返せないから、その悔しさと憤りを込めて「正論を吐く」となるわけだ
ちなみに「正論を振りかざす」人はいつも同じ人物だそうで、そもそも自身のコミュニケーション能力の問題が大きく関与しているそうだが、今回はこの件には触れないでおこう
「正論」に対して誰も言い返せないということは、「正論」とはやっぱり正しいのか?
結論から言うと、「正論」はひとつの観点から言うと正しいというのが正解だろう
「子は親を敬うべき」と同様に「親は子を育てる責任がある」と言う正論がある
「子供が自立できるように育てる」という責任を果たさない親は、そもそも「人として行う正しい道」に反しているわけで、その子供に「子は親を敬うべき」という正論をあてがうこと自体が無意味だろう
「規則は守らねばならない」はどうか
規則とは、「人の従うべき準則であり、主に文章によって規定されたもの」或いは「行為や事務手続きなどが、それに基づいて行われるように定めた事柄」とある
人間が社会生活を送る上で、秩序や公平性を保つために作られた決まりが、規則ということなのだろう
しかし規則とは、ある時代のある観点から決められたモノであって、世の中は常に変化している
そして出来る限り公平に作られた決まりだったとしても、必ず想定外の事象は起こるものだ
規則に当てはまらないような事象は例外であり、例外を無くしたいなら新たに規則を作ればよい
「規則は守らなければならない」も正論だが「規則は変わって然るべき」も正論なのだ
英語で正論は「a sound [fair] argument」と言うそうだ
sound は健全という意味で、fair は公正な、argument は議論とある
つまり英語でいう正論とは、一方的に相手を論破し聞く耳持たないような主張ではなく、お互いに事実や正しい根拠に基づいた主張をして議論すること、なのだろう
相手に気を遣い、自分の主張は控え、何とか丸く収めたいと考えがちな日本人にはなかなか出来ないことなのかもしれない
理路整然と話す人の主張がすべて正しいわけではない
「正論とはお互いに事実や正しい根拠に基づいた主張をして議論すること」という正論を振りかざしておいて、ベストな正論を導き出すのが良いかもしれない
今日の深掘りはここまで