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ウクライナ侵攻の背景(1)

 

いま、ロシア軍によるウクライナ侵攻が世界の注目を集めている

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ヨーロッパにとってはナチスドイツがポーランドに侵攻して以来の暴挙であり、一方的で身勝手な侵略行為だと世界中の批判を浴びている

それも弱小ウクライナ軍を圧倒的な軍事力で攻め落とそうとしているわけだから、もう大国の暴挙としか言いようがない状況だ

プーチンは狂っている、これはロシアではなくプーチンが起こした戦争だ!

そうコメンテーターは騒ぎ立て、評論家は今後の展開を予想している

それにしても・・敵対しない国に対して突然こんな戦争を仕掛けるか?

それも冷戦時代が終わって30年以上経った21世紀だぞ!今は!

あまりにも時代錯誤な所業じゃないか!

そう思ったのは私だけではないと思う

ロシア(プーチン)の言い分は、西側諸国(アメリカ)はNATO北大西洋条約機構)の東方拡大はないと約束したのに、その約束を破って拡大を続けているのが原因(理由)だと言う

それが本当なのか、そしてこんな戦争を引き起こすほどの理由なのかを改めて調べてみることにした

 

そもそもNATOはいつ、どんな役割で結成され、どう拡大していったのだろうか?

第二次世界大戦後の1949年、ソ連を中心とする共産主義陣営(東欧諸国)との対立が激しくなるなか、資本主義陣営(西欧諸国)の多国間軍事同盟としてNATOは誕生した

最初の加盟国は、ベルギー・カナダ・デンマーク・フランス・アイスランド・イタリア・ルクセンブルク・オランダ・ノルウェーポルトガル・イギリス・アメリカの合計12か国

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ワルシャワ条約機構 - Wikipediaより

NATOの誕生によって西欧諸国はアメリカの強い影響下に置かれることになったが、二度の世界大戦で大きな打撃を受けた西欧諸国にとって、アメリカの強大な軍事力の傘に守られながら経済復興を図れるというメリットがあった

1952年にはギリシャとトルコ、1955年には西ドイツがNATOに加盟している

西ドイツがNATOに加盟した時、ついにソ連を中心とする東側8か国はNATOに対抗してワルシャワ条約機構WTO)を発足させている

この時東側がWTOという相互軍事同盟を結んだ理由は、NATOWTOの勢力地図をみるとよくわかる

まず1952年にトルコとギリシャNATOに加盟したことで、東欧諸国にとっては南の中立地帯(緩衝地帯)が無くなり、NATO側と直に接することになった

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北大西洋条約機構 - Wikipediaより

それでもまだ西側には中立国の西ドイツ、オーストリアユーゴスラビアが縦に並んで緩衝地帯を形成していたのだが、西ドイツがNATOに加盟してしまったために緩衝地帯が切れてしまったのだ

目の前にNATOの防衛(軍備配置)ラインが現れたわけだから、東側はもう枕を高くして眠れない

NATOに対抗するために、東欧8か国による相互防衛ライン(ワルシャワ条約機構)を引いて西側をけん制する必要があった

こうしてヨーロッパは、スイスやオーストリアなど一部中立国を除いて、2つの軍事同盟によって分断され、東西冷戦が本格化していく

ちなみに、軍事専門家に言わせると緩衝地帯の存在は、敵対する国と国にとって非常に重要なんだそうだ

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緩衝地帯が無くなるとお互いの軍隊が国境で睨み合いをするわけだから、一気に両国の緊張が高まり、いつ戦争が始まってもおかしくない状況になるという

こうして欧州では長年睨み合いが続いたものの、結果的に欧州で戦争が起きることはなく、西欧諸国は順調に経済復興を遂げていった

しかし自由主義経済を受け入れなかった東欧諸国は徐々に経済が停滞・縮小、西側諸国との経済格差が広がるとともに国民の不満も拡大していく

冷戦状態が35年近く続いた1989年11月、ついにベルリンの壁が崩壊する

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ベルリンの壁崩壊 - Wikipediaより

市民の大量出国(脱出)を苦慮した東ドイツ政府が出国規制の緩和で乗り切ろうとしたが、市民はこれを旅行の自由化と受け取り、一斉にベルリンの壁に殺到したため国境検疫所はあっけなく開放されてしまったのだ

この時プーチンは東ベルリンのロシア領事館で、この衝撃的な体制崩壊を目撃していたという

その後も西ドイツへの人口流出が止まることはなく、東ドイツは国家として成り立たない状況に陥っていく

そして1990年、アメリカ・イギリス・フランス・ソ連の戦勝4か国と西ドイツ・東ドイツを合わせた6か国会議で、東西ドイツの統一と統一ドイツのNATO加盟が確認された

この時アメリカは、統一ドイツの加盟を認めればNATOがこれ以上東方に拡大することはないし、これによってソ連だけでなくヨーロッパ全体の安定を図ることができると言ったらしい

・・が、これが事実であったかどうかは未だにわからないままだ

その僅か1年後、ソビエト連邦からバルト三国が独立、残った12か国も独立を宣言し、ロシア・ベラルーシウクライナを中心とした緩やかな独立国家共同体(CIS)を設立して、ついにソビエト連邦は崩壊した

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ソ連崩壊後の独立した連邦構成共和国 1.アルメニア 2.アゼルバイジャン 3.ベラルーシ 4.エストニア 5.ジョージア 6.カザフスタン 7.キルギス 8.ラトビア 9.リトアニア 10.モルドバ 11.ロシア 12.タジキスタン 13.トルクメニスタン 14.ウクライナ 15.ウズベキスタン

ソビエト連邦の崩壊 - Wikipediaより

1991年、ワルシャワ条約機構の解体とソビエト連邦の崩壊によって冷戦は終わり、NATOの役割もこれで終えるはずだったのだが・・

その後NATOは周辺地域における紛争予防および危機管理を目的として存在し続け、域外紛争に介入していくことになる

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北大西洋条約機構 - Wikipediaより

統一ドイツの加盟後しばらくは新たに加盟する国はなく、約束通り?NATOの東方拡大はなかった

しかし旧東側諸国はロシアの支配から逃れるようにNATOへの加盟を希望し、1999年になるとチェコハンガリーポーランドの3か国が新たにNATOに加盟する

2004年にはスロバニア・ルーマニアブルガリアバルト三国エストニアラトビアリトアニア)とスロベニアの7か国

2009年にはアルバニアクロアチアの2か国

2017年にはモンテネグロ

2020年には北マケドニアが加わり、現在では加盟30か国まで拡大している

こうしてワルシャワ条約機構加盟国だった東欧諸国は、ロシア・ベラルーシウクライナモルドバなどを残してすべてNATOに引き込まれてしまったわけだ

ある記事によると、アメリカの元ソ連大使や元国務長官は、東西冷戦が終結したあとNATOは東方拡大すべきではないと警告していたらしい

NATOの拡大はロシア人の強い反発を招き、ロシアの政治にも影響を与え、新たな冷戦の始まりになると予見していたのだ

しかしNATOは東方に拡大し続けた・・

いまNATOとロシアの間にあるのは、ベラルーシウクライナモルドバという縦のラインだけだ

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「うん?待てよ・・」

この状況は以前もあったような・・

そう、NATOに対抗して1955年にワルシャワ条約機構が出来た時とそっくりじゃないか・・

あの時もNATOと東欧諸国の間に、西ドイツ・オーストリアユーゴスラビアという中立国(緩衝地帯)があったのだが、西ドイツがNATOに加盟したことで緩衝地帯がなくなり東西冷戦が始まった

ただあの時はNATOソ連の間にまだ6つのWTO同盟国があり、NATOソ連が直に接しているわけではなかった

しかし現在は違う

旧ソ連仲間のベラルーシウクライナモルドバが緩衝地帯を形成しているが、もしそのいずれかが無くなれば、NATOがロシア国境に直に接してしまう状況なのだ

ただベラルーシウクライナはロシアにとって昔から交流がある兄弟国で、ソ連崩壊後もこの3国を中心に独立国家共同体(CIS)を設立したほど強い関係にある

実際この両国は親ロシア派が政権を握ってロシアと緊密な関係を保ってきただけに、この最後の防衛ゾーンが崩れるとは思っていなかったはずだ

しかし2014年、反政府デモによりウクライナの親ロシア政権が倒れ、西側寄りの政権が誕生してしまった

3国は固い絆で結ばれていると思っていたプーチンにとって、ウクライナ政権交代はあのベルリンの壁崩壊のように感じられたのかもしれない

仮にウクライナNATOに加盟でもすれば、NATOがついにロシア国境まで迫ってくるという前代未聞の事態に陥る

アメリカの元高官が予見したとおり、ロシア国民の強い反発を招くことになってしまうとすれば、それだけ大国ロシア、強国ロシアの意識が強く残っているということなのか・・

そうだとすればロシアにとってこの屈辱は許されないことであり、もしこれを許してしまえばプーチン自身が指導者の地位から引きずり下ろされてしまうのかもしれない

そう考えるとウクライナ侵攻は、ロシア(プーチン)にとっては引くに引けない防衛地域の奪還作戦であり、ここまでロシア(プーチン)を追い詰めたのは1999年以降のNATO拡大であったのは間違いないようだ

ただそれにしても、今回の侵攻は明らかに世界を敵に回すような戦争であり、ロシアにとってはプライドを守るより何倍も失うものが多い侵攻だと思う

現実主義で冷静沈着な指導者といわれたプーチンが、なぜこんな蛮行(愚行)を犯してしまったのだろうか?

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