すこしだけ深堀りしてみるブログ

日々の生活で気になったことを自分が納得できる程度に調べてみるブログです

所謂

本や記事を読んでいると、【所謂】って文字を度々見かけるのですが、これってさっと読めますか?

恥ずかしながら私は「ショイ」と言うコトバがまず頭に浮かんで、一瞬考えたあとに「イワユル」と読み直してしまいます

まあ意味はご存じのとおり「俗に言われている」とか「世間で言うところの」とかの意味なんですが、この文字に出会うたびに同じことの繰り返し

調べてみると、【所】っていうのは「ところ」を意味し、【謂】は「言う」の意味で、合わせて「いろんなところで言われている」となるそうです

この言葉は中国の漢文由来で常用漢字ではないため、普通はひらがな表記が多いそうなんですが、たまに漢字が使われるらしい

っていうか、今はパソコンやスマホで簡単に変換できるから、たまにという頻度じゃない気がするけど‥

辞書で調べると【所】の読みは「ショ」や「トコロ」、【謂】は「イイ」や「イヒ」なので、うだうだ言わずに「イワユル」として覚えるしかないらしい

まあ、それは百歩譲るとして‥


この【所】を使った同じようなのが、まだあるんですよね

それが、【所以】と【所為】

これも【所謂】と同じで、ついつい「ショイ」と読んでしまいます

【所以】の本当の読みは「ゆえん」で、「物事の根拠となること」や「その理由」と言う意味

「こんな文字が読めないことが、馬鹿だって言われる所以だ!」なんてね

【所為】は「ショイ」や「セイ」と読みます

意味は「行い」や「しわざ」で「自分の所為を見直す」なんて時は「ショイ」と読みますが、「人のせいにする」などの「せい」でも【所為】を使います

これが出てきた時も文章の流れで一応「セイ」とは読めますが、わざわざここで使わなくてもいいんじゃね!といつも思ってしまいます

「自分が読めないことをひとの所為にするな!」ってか?


ちなみに、【所詮】という文字があります

読みはそのまま「ショセン」で、口頭で使うことが多いのですが、「結局は」とか「最終的には」という意味です

何かの出来事や事実をまとめるときに使う言葉で、「所詮、僕には読めない漢字です」のような使い方ですね、って居直ってどうする!

 

【所謂】という言葉には「俗に言う」の意味のほかに、「いわば」という意味合いで使われることがあります

「いわば」とは、「言うなれば」とか「言ってみれば」という言い方と同じように使われる表現で、ものごとや出来事を言い換えたり、結論づけたりする場合に使われます

「こんなことを偉そうに話すなんて、所謂、身の程知らずってヤツですね!」

今日の深堀りはここまで