お墓参り
お彼岸には必ず行く墓参り
でもお参りするのは私の実家ではなく、妻の実家のお墓なのだが・・(^^;
次男だった私の父は、終戦後に実家(中国地方)を出たあと関東、九州、近畿と住処が変わる転勤生活だったため、私は墓参りをした経験がほとんどなかった
その父も3年前に他界したが本人の希望で生家の墓には入らず、いまは母が遺骨と一緒に静かに暮らしている
代々東京暮らしの妻にとっては彼岸の墓参りは当たり前だったが、彼女の母親が亡くなったことをきっかけに私も一緒に墓参りをするようになった
自宅からはクルマで1時間ほどだが、いつも通り途中の花屋で供花を買ってからお寺に向かう
お寺に着くと、物置から桶を出して水を汲んでホウキとちり取りを持っていくのが私の役目、寺務所に挨拶をして線香を二束もらってくるのが妻の役目だ
墓では落ち葉を搔き集め、雑草を取り、ゴミ箱に捨てに行くのが私、墓石や花差しをきれいに洗って、花を活け線香を立てるのが妻で、二人は黙々と自分の仕事を全うする
お墓周りがきれいになると、「じゃあ私から・・」と彼女が先に拝む
「お先でした」と言って私と交替し、今度は私が手を合わせる
一時うるさかった蝉もだいぶん静かになり、ところどころに虫の音が聞こえている
「今日は晴れて良かったね」
「そうね、来週は妹が来てくれるからキレイにできて良かった・・」
「じゃあ、ゆっくり帰ろうか」
「そうね」
いつも通りのお墓参りが終わり、どこか「ほんわか」した気分に満たされる
墓参りに不慣れな私は、最初はお寺に着いても何をどうしてよいのか全然わからなかった・・と言うか、ただただお墓に手を合わせて拝めばそれで済んでいたのだ
その時は彼女の父が手際よく桶やホウキを用意して掃除してくれたし、私の出番はほとんどなかったのだが、今はその義父もお墓の中だ
妻から「水をお願い」とか「ホウキとちり取りもね」とか言われて、どこにあるのかも分からずあたふたしていたのが懐かしい
お墓参りについて考えてみると、ご先祖さまに感謝したり、故人に日々の変化を報告したり、家族の安寧をお願いしたり、いろいろと目的や思いはあるだろう
でも私としては、お墓参りに何か特別な想いがあるわけではない
彼岸はもちろんだが、ちょっと思い出した時に「お墓参りにいこうか」と言うと、彼女が「そうね」と言って喜ぶ顔が見たいだけなのだ
そしていつも決まったようにお墓をふたりできれいにして、静かな墓前で交互に手を合わせるだけで、なぜか心が落ち着く
何か達成感のような、幸福感のような、安心感のような、何とも言えない感覚になるのが不思議だ
敢えて言うなら、家族の儀式(それほど重くはないが・・)を無事に終えた安堵感と言ったところだろうか・・
自分の父と母の墓はすでに用意してあって、先々は私と妻もそこに入る予定だ
都心のお寺が提供しているオートメーション式のお墓で、カードをかざせば自分の名前の墓石に骨壺が運ばれてきて、手ぶらでもすぐにお参りできる仕組みだ
その墓は周りを掃除する必要もないし、花や供え物を持参してもいいが、持ち帰るのがルールになっている
手軽だが何だか味気ないと言えば味気ない
それでも子供たちが街に買い物に出掛けたついでに、気軽に墓参りできるならそれでいいと思う・・というか、それがいいと思った
ちょっとした儀式として墓前で手を合わせ、「ほんわか」した気分になってくれるのならそれでいいと思う
そして「また来たよ」、「また来るね」だけでいいのだ
墓参りとはそういうものだと思う
今日の深掘りはここまで